2015年




ーーー3/3−−− 風神、雷神の顛末


 初めての方から電話があった。工房へ来て作品を見たいと。後日、予定日を確認する電話が入った時、家内が受けた。要件を聞き終えた後、「どのようにして大竹工房を知りましたか?」と聞いたそうだ。それに対する答えは、ちょっと驚くものだった。

 ご主人が美術関係の研究者で、専門は日本近代美術。俵屋宗達の研究もされていて、たまたま風神・雷神に関してネットで検索をしていたら、そういう名前が付いた椅子が有る事を知った。画像を見たら良い印象を得たので、現物が見たくなったとのこと。

 作品を見たいと工房を訪ねて来る人は、これまでも大勢いた。だから、最初の電話の時点では、いつもの事と感じていた。しかし、家内が受けた電話の内容を聞いた時、いささか動揺した。これまで、特定の作品を見るために来た人は、ほとんどいなかった。今回は風神・雷神に的を絞って、わざわざ東京からお見えになる。その期待に応えられるだろうか。しかも、正直に言って、大それた名前を付けた作品である。美術研究者の目に、どう映るだろうか?

 風神・雷神のコンビは、私が作っている椅子の中で、価格的に最高レベルのものである。品物の出来も良いと自負している。座り心地の良さ、外観の美しさ、堅牢さ、加工の精緻さ、仕上げの丁寧さなど、この二つの椅子のレベルを超えるものは、世の中にそう多くは無いと思うくらいである。

 ところが、これまで世の人々の、風神・雷神に対する反応は、私が期待した通りでは無かった。展示会に於いても、また工房の展示室に於いても、あっと驚くような反応を現した人は、少なかった。こちらの期待が大き過ぎたためかも知れないが、がっかりさせられた事の方が多かったのである。日本の皆様には、この椅子は評価して貰えないのかと思う事も有った。そんな経緯も有ったので、この来訪を前にして、心中穏やかざるものがあったのである。

 現物をご覧頂いたご夫婦から、思った通りの素晴らしい椅子だとの感想を頂いた。それを聞いてほっと安堵した。次いで、予想した質問を頂いた、「どうしてこのような名前にしたのですか?」。私は、いつもの通り、こう答えた、「これら二つの椅子は、椅子本体の形は同じで、背もたれだけが違います。つまり双子の兄弟のような関係です。ペアで呼ぶのに相応しい名前を思案するうちに、風神・雷神を思い付きました。背板が風にたなびく布のような方が風神、背もたれが稲妻のような激しさを持った方が雷神というわけです」

 先生は、「そうでしたか」と楽しげに微笑まれた。「名前負けしてる」などと言われることを心配していた私は、胸をなでおろした。しかし、直後に赤色のレザーに手を置いて、「風神は緑色なんですよね」と言われた。私はハッとした。そして「そこまでは気付きませんでした」と述べた。

 風神は緑色のレザー、雷神は白いレザーに変更することにして、二脚ともお買い上げ頂くことになった。私の思い入れの塊のような椅子たちは、思いがけない展開でお客様の手に渡ることとなった。ちなみに先生はわたしより十歳ほど若く、ご専門の著書多数、大規模な美術展の企画立案などでもご活躍されている。

 お客様を駅までお送りして自宅に戻ると、家内は「あの名前にしておいて良かったわね」と言った。





ーーー 3/10−−− 刃物の盛衰


 職業柄、刃物研ぎは得意である。その技を活用して、自宅の包丁も研ぐ。先日、家内が4本の包丁を工房へ持ってきた。実は、久しぶりである。仕事の邪魔をしては悪いと言う配慮なのか、家内が研ぎを依頼する頻度は少ない。しかし、その配慮は裏目に出る。長期間研がずに使い続けた刃物は、刃先が鈍くなっており、研ぎ下ろすのに時間と労力がかかる。1ヶ月に5分の研ぎを毎月繰り返すのと、半年に一回30分研ぐのでは、後者の方が格段に辛く感じるのである。

 二本の牛刀は、いずれも30年以上使い続けている。研ぎを重ねるうちに、ずいぶん細身になった。ペティーナイフくらいの大きさになるまで使えるという宣伝文句だったが、最近切れ味が落ちてきたようだと家内は言う。研いだ直後は良く切れるのだが、しばらくすると切れが止まる。研ぎ減らすうちに、鋼の質が変ってきたのではないかと、家内は疑っているようだ。

 それは一理ある。伝統的な刃物製作は、鍛錬と熱処理を伴うので、厳密に見れば全体が均一とは限らない。研いでいくうちに、鋼の出来が悪い部分が出てくるということも、有り得なくは無い。

 技術専門校の木工科に、刃物業者が売り込みに来た事があった。有名な刃物産地の業者で、毎年来ているようだった。実習場の片隅に陣取り、様々な刃物を並べた。生徒が群がって、品物を手に取って見たりしていた。私は皆の前で偉そうに、「以前クラフトフェアでおたくから買った小刀は、切れ味がイマイチだったですよ」と言った。すると店主は、「ひと裏やふた裏では、なかなか調子がでないものですよ」と返した。その一言で、私はぎゃふんとなった。

 鉋やノミなど片刃の刃物は、裏側の平面が出しやすいように、周辺部以外は少し凹ませてある。刃先が研ぎ減ると、その凹部分にかかる。その状態を裏切れと言う。そうなると正しく研げなくなるので、裏面を研磨して平らな部分を復活させる。その作業を裏出しと呼ぶ。いったん裏出しをすれば、かなり長い間使える。逆に言えば、裏出しを繰り返すというのは、その刃物を使いこんでいることの証しである。

 店主が言った意味は、「裏出しを一二回やったくらいでは、本来の切れ味は分からない」という事だったと思う。それを聞いて、私がぎゃふんとなった理由は、思い当たる事があったからである。以前、神輿作りの職人の話を本で読んだ。原形を留めないほど研ぎ減った小刀を見て、聞き手が「こんなになるまでつかうのですか?」と聞いた。すると職人は「この刃物は、研ぎを重ねるうちに、だんだん切れ味が良くなってきた。今が一番良い状態だと思う。人間なら40〜50歳、働き盛りというところかな」と言った。

 新品を使い始める段階では、刃先の部分の鋼の質があまり良くなかった。研いでいくうちに、だんだん良い鋼の領域に移って行き、切れ味が増してきた。そういう変化の過程なのだろう。そのようにして絶頂期を迎えても、さらに研ぎ減らせば、切れ味が下がる事もあると思う。働き盛りを過ぎたということだ。

 かような話を家内と交わしたら、家内はこんな事も言った、「こちらの菜切り包丁は、あなたが数年前に某所の鍛冶屋で買ってきたもの。始めのうちは切れ味が悪くて、外れかと思ったけれど、最近は良く切れるようになってきたわ」




ーーー3/17−−− 寒の戻り


 庭にマンサクが咲き、冬が長い安曇野にも、少しずつ春が近づいている。しかし、昨晩も雪が降った。驚くような事ではない。この地では、4月下旬でも、雪が舞うことがある。

 最低気温が零度を下回らない日も出て来た。真冬はマイナス10度以下になる地だ。せいぜいマイナス2〜3度の気温なら、ずいぶんラクだ。と言いたいところだが、この時期はけっこう寒さが堪える。春が近付き、日々の気温が上昇傾向になると、体がその気になるのだろう。身体も気分も温暖化モードになりつつある時期は、寒さの感じ方が、覚悟を決めている真冬より敏感だ。ちょっとした寒の戻りが、辛いのである。

 この傾向は、自然界の樹木にもあるようだ。真冬の厳しい寒さに耐えた樹が、春先に幹の内部で凍ったりする。いったん真冬モードから外れると、樹木の耐凍性が低下し、マイナス数度でも凍ってしまう。農作物の遅霜被害も、同じような現象かも知れない。

 寒冷地の樹木が、秋から冬へかけて耐凍性を身に着け、冬から春にかけて耐凍性を解除するのは、日照時間が左右しているらしい。人間は、寒くなれば衣類を着こみ、暖かくなれば薄着になる。気温に合わせて調整をするのである。しかし樹木は、陽が短くなったら寒さに備え、陽が長くなったら寒さ対策を緩める。気温の変化より、日照時間の推移の方に、衣替えの基準を置いているわけだ。人間のように、服を着るなどという機敏な行動は取れないから、樹木はその時どきの気温では無く、陽の長さの変化を根拠にして、その先数ヵ月の準備をするのだろう。

 ここで言う寒さ対策とは、樹木が内部の水分を下げたり、凍結防止のための物質を分泌させる事を言う。樹木もそういう生命維持のメカニズムを持っているのである。そうでなければ、夏と同じ裸のままで、極寒の気温に耐える事はできない。

 ところで、温暖な地方の植物は、気温に合わせて冬支度をするらしい。低緯度地方は、四季を通じて日照時間の変化が少ないので、陽の長さは基準にならないのか。そういう植物は、秋の終わりに暖かい日が続くと芽を出してしまい、その後の寒さにやられてしまうという。気温に敏感な植物は、気温の急激な変化に対応できないという事か。人間も、それに近いようである。

 先日、マツタケの事を少し調べた。マツタケは、秋になって気温があるレベルを下回ると、発生し始める。しかし、その後暑さがぶり返すと、一斉に止まってしまうそうである。これもマツタケ内部の温度センサーとマツタケの生命活動が関係しているのだろう。




ーーー3/24−−− 任期の半分が終わった


 地区の公民館長の役を仰せつかって一年となる。任期二年の半分が過ぎ、ようやく折り返し地点に来た。こういう地域活動にはスッタモンダが付き物だが、何とか大きなトラブブルも無くここまで来れた。まだ道は半ばであるが、とりあえずホッとしている。

 公民館には約250世帯が所属しているが、歴代の公民館長は、下の地区から出ていた。下の地区と言うのは、歴史的に見てこの区の中心的な存在であるが、標高が低い場所にあるので、そう呼ばれている。それに対して私が属する常会(町内会)は、西に向かって上がって行った場所にあり、上の地区の中でも一番端にある。そういう、言わば主流から外れた地域の住人で、しかもよそから移り住んだ「よそ者」である私が、この重責を務められるかどうか、当初は大いに不安であった。それでも、救う神は何処にでもいるもので、都度思いがけない方たちからご助言、ご助力を頂き、なんとか切り抜けてきた。また天気に恵まれ、マレットゴルフ大会、研修旅行、納涼祭、敬老会、餅つき大会など、いずれも予定通り実施できたのは、幸いだった。

 穂高地域には、29の公民館がある。その活動内容は様々で、熱心にやっている所もあれば、下火な様子の所もある。それぞれ取り組む体制、歴史的背景、住民の気質傾向など、事情に差があるので、良いとか悪いとかは言えない。しかし、一応長と名の付く立場になった以上、活動を盛り上げたいという気持ちが起きる。他の地域の公民館と比べて、あまりに低調で推移しては、責任を感じてしまうのである。

 ところが、そういうにわか作りの責任感も、とかく空振りに終わる。館長、主事、そして男女各9名づつの評議員によって構成された組織である。この20名の所帯を、良いムードに持って行き、パフォーマンスを引き出すのが、なかなか難しい。評議員は、各常会から選ばれて来ているのだが、どこも順番で当てられた人たちであり、自ら希望して出てきているわけでは無い。それでも、役を引き受けたからには、責任感を持って取り組もうという人もいる。そういう人を右の勇とすれば、左の勇には、仕事や家庭が忙しいからと、後ろ向きで、非協力的な人もいる。そういう温度差がつきまとう組織なのである。真面目な人たちからは、不満が出る。しかし、非協力的なメンバーを責めても仕方ない。こういう活動には、ギスギスした雰囲気は禁物である。あくまで穏便に、各人の自主性を頼ってお願いするしかない。愛と忍耐を持って望むことが、公民館活動の根本原則なのである。

 


ーーー3/31−−− 包丁焼入れ事件


 
刃物を研ぐというのは、男子にとって身に付けたい技能の一つだろう。現在の私は、刃物研ぎは仕事の一部だが、この道に入る前は、刃物を研ぐことに憧れたものだった。結婚をしてしばらく経った時、台所の包丁を研ぐことを思い立った。研いで切れ味が良くなった包丁を渡せば、カミさんが喜ぶ。そんな光景を頭に浮かべた。まことに、亭主の株が上がるというものだ。

 会社勤めをしていた頃は、団地に住んでいた。そのベランダで包丁研ぎの作業をした。要領が掴めず、作業は難航した。四苦八苦しながら、一本の包丁を研ぐのに2時間もかかったりした。刃物を2時間もこねくり回していたら、何かがおかしくなるものである。例えば、砥石の当たりが不均一なために、刃の一部だけ多く削れたりする。包丁の場合だったら、刃先が波打ったようになる。気付かずに進めれば、時間をかければかけるほど、変形は激しくなり、適正な状態から遠ざかる。

 いくら時間をかけても、やり方がまずければ切れ味は出ない。しかし当人は、やり方のまずさに気付いていない。仮に理屈が分かっていても、訓練不足で手先が思うように動かない。ゴールが見えない行為は、時間が経つうちにイライラしてくるものだ。毎回そんな感じで、さんざん時間をかけた挙句、中途半端な状態でギブアップした。

 ある時、切れ味が出ないのは、刃物が悪いせいではないかと考えた。極めて傲慢な発想だが、自らの技量を顧みず、道具のせいにするというのは、初心者にありがちな事である。刃物の質が悪いと言えば、焼きが弱いというイメージだ。そこで、自分で焼き入れをすることにした。ここから先は、目を疑うようなシーンが展開する。なんと、台所のガスレンジで包丁を炙ったのだ。火にかざしてしばらくすると、刃はサーッと黒くなった。しかし、期待したように、赤くはならなかった。いくら経っても赤くならないので、黒いまま水に漬けた。ジューッと音がして、もわっと水蒸気が上がったが、どうも事が上手く運んでいないような気がした。水から取り出して試し切りをしたら、嫌な予感は的中した。全く切れなかったのである。包丁は、ただの鉄板になってしまったのだ。

 後日、この出来事を会社の同僚に話した。相手はひどく驚いた様子で、「大竹さん、あなたはそれでもエンジニアですか?!」と言った。 




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